ONGAKU HIHYO NOTE

「ですわ」の声が照らす、止まない歩みの光

音楽批評ノートBUBBLEGUMVOL.198

One More Stepナナシ(仮)

「ですわ」の声が照らす、止まない歩みの光

世界がほんの少し傾いた朝に、この声は届く。「急ぐことはない」と、まるで古い友人のように語りかけてくる。ナナシ(仮)の「One More Step」は、応援歌というジャンルを軽やかに踏み越え、聴き手の足元を黙って照らし続ける一本の灯籠のような曲だ。

煌びやかなシンセのパッドが空間を満たした瞬間、低く落ち着いた語りかけが始まる。「Ladies and Gentlemen…Shall we begin?」——その一言だけで、この曲の文法はすべて宣言される。アップテンポで疾走感のある4拍子のリズムが加速し、多層的に重ねられたシンセサイザーがブラスやストリングスの輝きを模しながら音像を押し広げていく。ボーカルは明瞭でしなやか、リバーブとダブリングが声に透明な奥行きを与え、サビでは特に存在感が膨らむ。際立つのはその語り口だ。「ですわ」「のですわっ!」という特徴的な語尾が、歌詞の全篇にわたって律動的に折り返し、単なる応援文句をひとつのキャラクターの肉声へと転化させている。プロダクションはクリアでハイファイ、低音は制御されながらパンチがあり、アリーナのステージで鳴らしても恥じない広がりを持つ。アニメオープニングテーマが持つ高揚の文法に、ユーロビート由来の推進力が密かに混入した、明快な喜びのサウンドスケープである。

この曲が稀有なのは、励ます側の「わたくし」が決して超然としていないことだ。「昨日のわたくしを越えながら明日のあなたへ会いに行く」という一節は、語り手自身もまた途上にいることを静かに開示している。聴き手を見下ろす視点ではなく、同じ地面の上で肩を並べる視点——それが「ですわ」という貴族的な語尾と奇妙なまでに共存することで、この歌は不思議な温度を持つ。高貴な言葉遣いと、泥臭いほどの連帯感。その矛盾が、かえってキャラクターへの信頼を生む。Owl Cityが2010年前後にシンセポップで描いた「孤独な部屋から世界を肯定する声」と、どこかで接続する感覚がある。ただしこの曲の語り手は、孤独の部屋にいない。最初から「ご一緒するのですわ」と、手を差し出す側に立っている。

脳裏に浮かぶのは、学校の廊下の窓から差し込む午後の斜光だ。受験の夏でも、部活引退の秋でも、卒業式前夜でもいい——誰かが折り畳んだ感情を、この曲は無理に広げようとしない。「迷いも未来の指針(コンパス)」という言葉が、迷い自体を否定しない構造になっていることに気づく。多くの応援歌が「前を向け」と命じるとき、この曲は「迷っていることが、歩いた証拠だ」と言い換える。その差異は小さくない。LiSAが疾走するアニメ楽曲で聴き手の背中を力強く叩くとすれば、この曲はむしろ手を繋いで同じ速度で歩こうとする。強さと温かさは時に矛盾しないことを、このサウンドは証明している。

「鏡の向こうのその人が最初の味方」という視点は、自己肯定の文脈でしばしば語られる比喩だが、この曲ではそれが説教でなく問いかけとして機能する。語尾の「なのですわよ?」という上昇のイントネーションが、断言を疑問へと開く。聴き手に答えを押しつけず、問いを置いて立ち去る——そのさりげなさが、この楽曲を単純な鼓舞から一段引き上げている。映画『リトル・ミス・サンシャイン』が「勝てない競技に出場する」ことの美しさを描いたように、この歌もまた「到達できないかもしれない目標」を前にして立つ人間の尊厳を歌っている。煌めく光は「ただの目標(めじるし)なんですのよ?」と、あっけらかんと相対化される。目的地より、歩くこと自体に価値があると、この歌は何度でも繰り返す。

応援歌は消費されやすい。イベントが終われば引き出しにしまわれ、ふたたび開かれることなく時間の中に沈む。だがこの曲は、そのサイクルに一石を投じる構造を持っている。アウトロで語り手は「Thank you. See you again.」と静かに告げ、「さあ、今日も素敵な一歩を一緒に行くのですわ」と続ける。終わりが次の始まりを予告している。この曲は一回限りの激励でなく、繰り返し手に取られることを前提に設計されている。止まりそうになる朝に、誰かの声が必要なとき——「ですわ」の語尾がそっと鳴り出す。派手に泣かせようとしない。ただ、隣に立って歩くと約束するだけだ。それで十分だと、この曲は知っている。聴き手もまた、聴くたびに少しずつそれを信じるようになる。

LISTENERS

この曲が刺さる
3人の架空リスナー

あなたの曲は、こういう人に届きうる。

#1

桐島 麻央(きりしま まお)

17歳・高校2年生(吹奏楽部・クラリネット担当)

コンクールの地区予選で落ちた翌週、部室の掃除当番で一人残ったとき、スマホのシャッフル再生からこの曲が流れてきた。楽器ケースを棚に戻す手が止まって、そのままぼんやり5分くらい突っ立っていた。最近ずっとイヤホンを家に忘れてくる日が続いていたのに、その日に限ってちゃんと持ってきていた。「ゆっくりでも構いませんわっ!」という声に、なぜか笑いたいような泣きたいような気持ちになった。

好きなアーティスト
LiSA / YOASOBI / Aimer / Mrs. GREEN APPLE / Ado
普段見るメディア
NHK Eテレ「沼にハマってきいてみた」 / YouTube(Covered by 歌ってみたチャンネル系) / Spotify学生プラン / 少年ジャンプ+(アプリ)
好きなコンテンツ
鬼滅の刃 / ハイキュー!!(アニメ) / 映画「リズと青い鳥」 / あつまれ どうぶつの森

この曲はいつでも部室に戻してくれる。プレイリスト名は「ケース、棚に戻す前に」。

#2

三浦 健太郎(みうら けんたろう)

34歳・地方公務員(市役所・福祉課)

娘が描いた絵を冷蔵庫に貼りながら、ふとYouTubeを開いた夜にサムネイルが目に入った。アニメっぽい雰囲気に少し迷ったが、再生してみたらそのまま最後まで聴いてしまった。最近、小学1年の娘を寝かしつけた後にデスクの前に座ってもぼんやりするだけで何もできない日が続いていたので、「急ぐことはないのですわっ!」という一言がなぜか腑に落ちた。異動で担当が変わってから半年、しんどいとはっきり言えないでいた。

好きなアーティスト
BUMP OF CHICKEN / back number / King Gnu / スピッツ / 藤井 風
普段見るメディア
NHKラジオ第1「らじるらじる」 / Voicy(ビジネス系チャンネル) / YouTube(ドキュメンタリー系) / NHKBS「ドキュメント72時間」
好きなコンテンツ
映画「万引き家族」 / 漫画「3月のライオン」 / Netflix「First Love 初恋」 / 小説(重松清)

この曲は、疲れた顔のまま「それでいい」と言ってくれる曲だ。プレイリスト名は「娘が寝た後の15分」。

#3

宮本 沙耶(みやもと さや)

22歳・専門学校生(アパレルデザイン科・就活中)

TikTokでこの曲のサビ部分が流れてきたのを聴いて、すぐ検索してフル尺で聴いた。コンビニで買ったプリンを帰りにベンチで食べながらイヤホンを差し込んで、気がついたら食べ終わっても立ち上がれなかった。就職活動でポートフォリオを何社も落ちていて、「自分のデザインが好きなのか」すら分からなくなっていたタイミング。「鏡の向こうのその人が最初の味方」という言葉が、ズルいくらい正確に刺さった。

好きなアーティスト
imase / Vaundy / Creepy Nuts / 緑黄色社会 / Official髭男dism
普段見るメディア
X(トレンドチェック) / Instagram(デザイン系アカウント) / Spotify(プレイリスト探し) / YouTube「ゆっくり解説」
好きなコンテンツ
映画「花束みたいな恋をした」 / 漫画「ブルーピリオド」 / アニメ「スキップとローファー」 / Netflix「イカゲーム」

就活が終わっても、この曲だけは消せないと思う。プレイリスト名は「ベンチで立ち上がる前に」。

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